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浦和地方裁判所 昭和55年(行ク)3号 決定

申立人

黒木タヨ

右訴訟代理人

時友公孝

被申立人

埼玉県大宮保健所長 榊原康衛

右訴訟代理人

常木茂

外四名

主文

本件申立をいずれも却下する。

申立費用は、申立人の負担とする。

理由

一申立人の本件申立の趣旨及び理由は別紙(一)ないし(三)記載〈省略〉のとおりであり、これに対する被申立人の意見は、別紙(四)ないし(六)記載〈省略〉のとおりである。

二当裁判所の判断

1  本件疎明資料によれば、申立人は昭和五二年三月以来肩書地所在の申立人方住居において、雄ライオン一頭(以下「本件ライオン」という)を飼養し、昭和五四年七月三日、右飼養について、被申立人の許可を受けていること、被申立人は「危険な動物の飼養及び保管に関する条例(昭和五三年埼玉県条例第五八号)一四条に基づき、昭和五五年一一月五日付をもつて申立人に対し、本件ライオンを昭和五五年一一月二九日までに他の安全な場所へ移送したうえでなすべき旨の付款を付して、同年一二月一日から昭和五六年二月九日までの間に、本件ライオンを飼養している施設を右条例五条、九条、同条例施行規則四条に定められた基準に適合するように改造することを命ずる処分(以下「本件第一の処分」という。)を更に、同年一二月一日付をもつて右条例一四条二項に基づき本件ライオンを同年同月三日までに殺処分することを命ずる処分(以下「本件第二の処分」という。)をそれぞれなしたこと、そして被申立人は右期限の経過にともなつて本件第二の処分に基づく申立人の義務を履行させるため、行政代執行によつて速やかに本件ライオンを殺処分する意向であることが一応認められる。

右事実及び右各処分の内容によれば、被申立人の申立人に対する本件第一の処分は、その後新たになされたこれに相反する本件第二の処分によつて黙示に撤回されたものと解されるから、本件第一の処分の効力停止を求める申立人の申立は、すでに存在しなくなつた処分についての効力停止を求めるものであつて不適法であるというべきであるが、本件第二の処分については、被申立人の代執行の開始(少なくとも戒告処分)を待つてその執行停止(又は手続の続行停止)を行なうことによつては、事実上、その目的を達することができない(行政事件訴訟法二五条二項但書)と認められるから、本件第二の処分の効力停止を求める申立人の申立は適法と解される。

2  そこで被申立人の申立人に対する本件第二の処分の効力停止の許否について検討する。

本件疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

(一)  本件ライオンは申立人が飼養を始めた昭和五一年八月ころは生後一か月位であつたが、その後四年余り経過した現在、体重約三〇〇キログラムに達する動物に成長しているところ、申立人が本件ライオンを飼養している施設は、昭和五二年三月ごろ、申立人の居住する普通の平家建住居の東南角敷地内に建造されたコンクリート床縦3.6メートル、横四メートル、高さ三メートル大の鉄筋の檻(以下単に「檻」という。)とその北側に檻に接続して元応接間であつた居室(約一〇畳大)を改造し全体を外側から鉄筋で覆つた部屋(以下「ライオン部屋」という。)の二つであるが、申立人は、本件ライオンを普段ほとんどライオン部屋に入れて飼養しているものの、同部屋は床がコンクリート等堅固な不浸透性材質でなく、壁面にはほとんど可燃性の材料が用いられているほか、同部屋の周囲に設置された鉄筋は、床部分が全面コンクリートで固定されていないうえに、ライオンが鉄筋の間から鼻、口、足等を檻の外に出せる箇所もあるのにかかわらず、その部分に金〓も張られていない(但し申立後一部には金〓が張られた)こと、又右檻やライオン部屋には、いずれも人が接近するのを防止するためのいわゆる「人止め棚」やライオンが万一右檻やライオン部屋から脱出することを防止するに必要な出入口の二重扉(但し申立後ライオン部屋の出入口扉は二重扉に改められた)及び二重の施錠設備が完備されておらず特にライオン部屋は前記条例に定められた檻とはとうてい目し得ないものであること、更に、「人止め柵」(ただし申立後檻の東側壁面に鉄板が張りつけられた)扉の点等を除いてほぼ前記条例及び同条例施行規則の基準に適合した右檻についても、床に汚物処理のための勾配がなくしかも排水溝も設置されていないので、本件ライオンの排泄物などは檻東側の植木畑に直接流され、檻の東外側部に設置された金〓を支える基礎ブロックに大きな亀裂が生じ、同所付近の地盤が脆弱化していることが窺えるなど現在の施設のまま飼養することは極めて危険であるとみられること。

(二)  申立人は、本件住居に一人で居住し、しばしば家を留守にし、その間、本件ライオンを看守する者もない状態に置いていること、本件ライオンは、申立人によく懐き、申立人も本件ライオンを自分の家族のように可愛いがり、時には、本件ライオンを檻やライオン部屋の外へ出して戯れたりして正常な飼養から逸脱するような行為をしていること、しかし、申立人には、ライオン等猛獣の飼養について特に専門的な知識や経験があるわけではないこと。昭和五三年三月三日、埼玉県児玉郡児玉町において、ライオンが飼主を咬殺する事故が発生し、これが右条例制定のきつかけとなつたものであるが、右事故に引き続いて、同年九月二四日、申立人方を訪れた近所の主婦が檻に近づいたところを本件ライオンによつて頭部などに二か月の重傷を負わされる事故が発生し、(申立人は、同事故につき、重過失傷害罪で起訴され、同事件は、目下、大宮簡易裁判所で審理されていること)更に昭和五五年九月二七日、再び申立人方において、飲酒してきた五六歳の男性がライオン部屋に近づき本件ライオンによつて頭部表皮剥離左胸部肋骨骨折など全身に傷害を受ける事故が発生したが、その際申立人も一緒に飲酒していたものであること(右事件についても申立人は重過失傷害被疑事件として送検されている。)、申立人は、右事故時に限らず日頃よく飲酒していること、右のような飼主の飲酒の危険性等について東武動物公園園長西山登志雄は付近住民に対する説明会において、一個人が趣味でライオンのような猛獣を飼うこと自体危険であるし、飼主に馴れたライオンほど、他人に危害を加え易いこと、ライオンに限らず一般に動物は、飲酒した人が近づくと、その人を襲うことがあるし、飲酒によつて判断力も鈍るから、ライオンを飼う人は、厳に酒を慎しまなければならないと述べていることに照らし申立人の飼主としての資質には重大な疑問があること。

(三)  申立人住居の周囲は、比較的畑や空地の多い場所ではあるが、付近には、多数の人家や主要道路(県道東門前蓮田線、同浦和岩槻線等)があるほか、檻の南側には、学童の通学路となつている市道(前記昭和五三年の事故発生後、学童は、右場所を避け、迂回している。)もあり、一旦本件ライオンの脱出等の事故が発生したときは付近住民に及ぼす危険は計り知れないこと。

(四)  以上のような状態にあつたので、被申立人をはじめとして埼玉県の関係部局は、申立人に対する本件ライオンの飼養を許可した後も、昭和五四年九月ころから、申立人の施設及び飼養方法等について度々調査するとともに、申立人に対し、前記(一)の点を含む施設の不備を指摘して、その改造等を指導したうえ、これに従わない申立人に対し、昭和五五年一〇月初め、本件ライオンの引き取りに応ずる動物園を紹介、斡旋して、ライオンの飼養を放棄するように説得したが、申立人は、右動物園に引き取られた後のライオンの飼養方法について冷暖房装置の設置及び檻内への立入りを要求するなど無理な条件をつけ、結局、被申立人又は埼玉県関係部局職員の説得を受け入れなかつたこと、その後、同年一〇月三一日、大宮保健所において、申立人とその代理人並に被申立人をはじめとする埼玉県関係部局職員との間で、本件ライオンの飼養についての話合いが行なわれ、その際、申立人側は、被申立人らに対し、現在の施設を前記条例に適合したものに改造し、引続き本件ライオンを飼養したい旨を要望し、これに対して被申立人側は右施設を改造するにあたつては、予め、ライオンを他の場所へ移送したうえで行なわないと危険である旨説明して指導したにもかかわらず、申立人は、あくまで本件ライオンを手離すことを拒否し、被申立人らの強い説得にも応じなかつたこと、そこで被申立人は同年一一月五日、申立人に対し本件第一の処分をなすとともに同月一四日、本件ライオンの移送計画書及び現在の施設の改造計画書を同月二〇日までに被申立人に提出するように促したが、申立人は、同月二〇日付の文書をもつて、被申立人に対し、本件ライオンを他の場所へ移送する意思の全くないことを通告し、現在に至るも、前記条例六条に基づく施設の改造計画書を提出していないこと、その結果、被申立人は施設の改造等の方法によつてはその危険を除去することができないとして本件ライオンの飼養放棄を求める趣旨で、同年同月一日、申請人に対し本件第二の処分をなすに至つたこと。もつとも、申立人は、右施設の改造について北側のライオン部屋を最終的には閉鎖するが、ひとまず本件ライオンを右部屋に入れ、その間に南側の檻を改造する計画を立て右工事の費用見積書を業者に提出させているものの、同見積書も本件第二の処分がなされた日の翌日に作成されたものであつて、同日現在、被申立人には施設の改造計画書、図面等も提出されていないし、その改造計画自体前記条例に適合した安全なものかどうか明らかでないこと。

以上の事実が一応認められる。

右事実を総合すると、申立人が現在の場所、施設において、このまま本件ライオンを飼養することは、他人に危害を及ぼさないように十分注意してライオンを飼養するという飼養者としての資質の面からみても、又ライオンを安全に保管するに足る施設の面からみても極めて危険であり、人の生命、身体若しくは財産に害を加えるおそれがある(前記条例九条一号、四号、一四条二項)といわざるを得ない。

そうすると、右の危険を除去するため申立人に対し本件ライオンの飼養放棄を求める趣旨で被申立人のなした本件第二の処分(本件条例上は強制的移動、収容の措置命令は定められていない。)は、被申立人の有する裁量権の範囲に属する権限の行使であつて、その範囲を逸脱した違法なものとはいえず、本件第二の処分の取消を求める部分は、本案について理由がないとみえるときにあたるものと認められる。

なお、申立人は本件ライオンの移動自体が極めて危険且つ不能であり、これを強制する第一の処分は違法・不当であり、これを履行しないことを理由とする第二の処分も又違法、不当であると主張するようであるが、本件条例一四条に照らし、第二の処分は第一の処分とは本来別個のものであつて、第一の処分の命令を履行しないことを理由ないし前提とするものではないから右主張は当らない(のみならず前記のとおり本件ライオンの移動自体が直ちに危険不能とはみられず、十分可能であつたことがうかがわれる。)。

三よつて、申立人の本件第一の処分についての申立は不適法であり、本件第二の処分についての申立は、理由がないからいずれもこれを却下することとし、申立費用につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(渡邊卓哉 野田武明 友田和昭)

申立の趣旨及び理由、被申立人の意見〈省略〉

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